いごこちじかんわたしじかんブログ

あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期

お家の風通しを良くする 『整理収納・空間収納・ルームスタイリング✨』
この3つの視点から、あなたにとっての「いごこち」をお手伝いします。

あなたの人生にここちよいヒントをお届けするライフリクリエイター 中村美枝子です。
私の振り返り8回目。今日からは一気に幼少期へ戻り高校卒業まで時間を重ねていきたいと思います。

「お母さんがいない」ことを、小さな私は認識していたのかな・・・?

《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part8◆

『いない』というより『なかった』

物心がついたとき。私に見えた景色。山と畑と長閑な町とおばぁちゃんとお兄ちゃん。そこにお父さんもお母さんもいませんでした。4歳の私は何を思っていたんだろう?って振り返ると、お母さんがいないことがあたりまえの毎日としてそこにあったということ。『いない』ではなくて『なかった』っていう感じだったと思います。『お母さんがいない』っていうことは、成長とともに認識していったのでしょうね。

正直、このころの記憶って断片的に残っているだけ。日曜日の朝になると坂の下から父が歩いてきて『パパーーーー!』って叫びながら大きく手を広げた父の胸に飛び込んで抱っこしてもらっていたこと。うさぎを飼っていて草っぱらで散歩をしていたこと。死んでしまったうさぎを川に流したこと。耕したばかりの畑が線路のようで、みんなで土の上を歩いて叱られたこと。サルビアの花の蜜を吸って喜んでいたこと。父が住んでいるアパートに2段ベットがあったこと。インコを飼っていたこと。大きな山がいつも見えていたこと。フェンスの向こうにたくさんの車が見えていたこと。

お買い物に行ったり、食卓を囲んだり、遊園地へ行ったり、動物園へ行ったり。そんな記憶は残っていない。それとも、もともとなかったのかもしれない。

夜、目が覚めるとおばぁちゃんとお兄ちゃんがいなくて大泣きしていたこと。ピアノは習っていたけれど先生の顔とかレッスンのことは覚えていない。家にもピアノはなかった。先生に『音感がすごくあるね』と褒められたことは覚えていて。幼稚園の記憶もほぼなくて。隣の席の男の子に『変なお弁当』ってからかわれたことは覚えている。おばぁちゃんが作るお弁当は、とても質素で(笑) たぶん食卓の記憶がないのもそのせいかもしれません。

今、『衣食住』を大切にしている理由は、幼いころの環境からくるものなのだと思います。小学校のとき、着ている服装でからかわれたせいか、娘や息子の小さいときは、随分と洋服に投資しました^^ 『かわいいね♡』と子どもたちが、みんなに言ってもらえることで、ちっちゃな私も癒されていきました。

小学一年生の春から夏は大忙し

小学校の入学式の記憶もない。写真もないので、もしかしたら出席していなかったのかもしれません。記憶どころか、小学校へ入るとすぐに引っ越しがきまりました。ある日、家の物がドンドン運ばれて。おばぁちゃんに『どこいくの?』って聞くと『姫路。でも姫路に行くのは、おばぁちゃんとお兄ちゃんだけ。みえは行かない』意味がわかりませんでした。大好きなおばぁちゃんとお兄ちゃんと離れ離れになり、次に私が見た景色は、ちょっと街の中の小さなマンション。

そこに知らない女の人がいました。私はその女の人のことを『ママさん』と呼んでいました。おばぁちゃんではなく若い女の人を見て、たぶん母親を求めていたのでしょう。いつもまとわりついていたように思います。そんな私がうっとおしかったんでしょうね。ある日、私を置いて出かけます。『どこ行くの?』って聞いても『出かけるから』とだけ。私は後を着いていく行くんですけどね。『ママさんっ。ママさんっ。』って小走りしながら。でもその人は一人タクシーに乗って行ってしまいました。日曜日も家にいるのがなんとなくいやで、近くの公園でひとり何時間も過ごしたりしていました。

1学期が終わるころ、教室の廊下側のまどのガラス越しに、父の姿がチラッと見えました。その日のことはよく覚えていて直感で『あっ、またどこかへ行くんだな』って思いました。予感は的中。記憶にある光景は離婚の話し合い。姫路に住んでいる兄といとこがたまに遊びに来るのも気に入らなかったのでしょう。籍をいれていたかどうかは、今も知りませんが結婚式があったのは覚えています。その話し合いにいたおばさんはたぶん『ママさん』の母親? 6歳の私の記憶は曖昧で。とにかくもめていた雰囲気は覚えています。姫路にもついていけなかった。また、ここでも私が原因でなにか話し合いになっている。“私は要らない子”なんだなっていう気持ちが、大きくなるにつれて、これまでのことを思い返すたびに、そんな風に思うようになっていました。

そして、次へ行った新しい場所は・・・・・

いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part9◆へつづく・・・

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期⇦イマココ
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12
私は何者?中途半端な立ち位置
part13自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?
part14⇨私の一番のコンプレックス
part15⇨嬉しさの中で言葉の壁に必死の毎日
part16『いってらっしゃい』の大切さ
part17⇨毎日が彼女一色だった中学の頃
part18人の言葉で傷つき 人の言葉で傷つける
part19距離を置きたいのに両親への罪悪感はどこからくる?
part20結婚後、親と離れても心はずっと縛られる
part21価値観、人生観が大きく変わった「阪神淡路大震災」で失ったもの
part22生きるってとてもシンプルなこと

番外編⇨子宮ポリープちゃん、どこにいった??

◆心のお片づけから一歩が始まる◆
お片付け、お掃除、子育て、パートナーシップ、対人関係など。「なにかがちがう?」
そんな違和感があるまま生活するよりも「心のモヤモヤ」を緩めることで、毎日の暮らしが変わります。いま目の前に在ることをスルーしても、それは解決したわけではありません。目の前に在る自分と向き合うことから始めることで、今まで気づかなかったことが見えてきます。「わたしはわたし」自分の人生は自分で創り上げていくもの。毎日の積み重ねが、あなたの人生そのものになります。

Restartするときがターニングポイント♡あなたのココチイイ暮らしが動き出すとき

兵庫県在住。夫、娘(大3)息子(高2)の4人家族。娘は京都でひとり暮らし中。
幼少期から様々な家庭環境の中で育ち、まぁまぁ波乱万丈の人生をおくる。40歳のとき「私の人生このままでいい?」の自問自答で「私を生きる暮らし」にシフトチェンジから12年。
暮らしオタク、人生オタク。チャレンジ精神旺盛。まずはやってみる!話すこと、文章にすることが大好き。まだまだ人生学びの日々。死ぬまで勉強!
〖好きなモノ・コト・ヒト〗
焙煎珈琲・観葉植物・日本酒・掃除・片付け・インテリア用品・腕時計・蓮の花・お寺・スーツ姿の男性・家族・凛とした女性 profile

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