いごこちじかんわたしじかんブログ

『いってらっしゃい』の大切さ

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お家の風通しを良くする 『整理収納・空間収納・インテリア✨』
あなたへ「いごこち」をお届けするライフリクリエイター中村美枝子です。

私の振り返り16回目。
《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part16◆

母が日本へ来て、やっと家族というカタチができたものの、楽しい毎日がドンドン歯車がずれはじめます。
中学高校も辛いことはたくさんあったのに、今思い返してみると記憶が薄れていることに気づきました。

気づけば空気が重い毎日に

中学に入るころ、母はちょくちょく寝込むようになりました。もともと体が弱かったのと精神的にも随分と弱っていたように思います。自分の生まれ育った国を離れ、言葉も習慣も違う場所へたったひとりで来て。母を分かってあげる人もいない。父も仕事仕事で母を構うことすらしていなかったように思います。

父とも、頻繁に言い争うことが増えていきました。言い合うというよりは母が一人で泣き叫ぶ。そんな時は2歳になった妹を抱っこして、隣の部屋でしばらくジッとしていました。

一旦寝込むと1週間くらい続きます。中学校のすぐそばに神社があって、毎日部活が始まる前にお参りに行っていました。『お母さんが早く元気になりますように』って。

ある時、あまりにも寝込む日が続き、またいつものように父と母の言い争う声。一生懸命バランスを取っていた心の糸がプツンと切れたのか、父に泣きながら『毎日毎日、お母さんが元気になるようにお参りに行ってるのに全然元気にならへん!』って、妹を抱きしめながら言ったことを思い出します。

お弁当は毎日作ってくれましたし朝ごはんも用意してくれましたが、元気な時もその後はすぐに布団に入るので毎日部屋のふすまを開けて『いってきます』って学校へ行っていました。

お弁当は『可愛い』というより『男らしい』という感じ(笑) いつも隠して食べていたなぁ。ちょっぴり恥ずかしくて。40年前の韓国は、まだまだ後進国で。日本のように『おしゃれ』とは程遠い国。センスがよくてとてもおしゃれな美人さんですが、韓国にない物の感覚はわからなかったようです^^

今、私が子どもたちを必ず玄関まで行って『いってらっしゃい』と見送るのも、お弁当にこだわるのもこういう記憶が頭の片隅に残っているからだと思います。

『いってらっしゃい』は、とても大事にしています。パパさんも子どもたちも気分よく出かけられるように。今日も一日心地よく過ごせますように✨ 元気に帰ってきますように✨ たくさんの想いを込めて『いってらっしゃい』とおまじないを^^

楽しかった記憶

かといって、毎日が重い空気ばかりだったわけではありません^^
何度か、ブログでも言ってますが母は『スーパー主婦』体が元気な時は、ものすごいパワーでお家のことをびっくりするくらいにこなします。お料理も上手で掃除も片付けも。お片づけの元祖『近藤典子』さんがテレビに出始めた頃『こんなんお母さん、前からやってるやんなぁ』ってよく言っていました。母が嫁いできてすぐくらいから、掃除はすごくたたき込まれました。週1の窓のサッシ、トイレ掃除、洗面台掃除、家具拭き(薬品使ってピカピカにするんです)など。洗濯の取り込みをして畳む、食器洗いは毎日していました。家のお手伝い。その量はいとこから見てもすごく驚くほどで。母の思うとおりにならないと、やり直しです。自分でも楽しんでやっているのか、嫌々やっているのかだんだん分からなくなってくるほどでした。

あの頃、母と一生懸命かかさず見ていたのが『太陽にほえろ』という刑事ドラマ。母がとってもお気に入りで。8時からの放送に間に合うように、その日は毎週8時までに夕食もお風呂もすませてスタンバイ! 懐かしいです。

そして今でもよく覚えていてありがたかったなぁ・・・と思うのは、中学の3年間、中間、期末のテスト勉強のときは深夜まで一緒に起きていてくれて『夜食』を用意してくれました。父と母と3人で食べながらテスト勉強の合間の息抜きになってたな^^

こうして、振り返りのブログを綴りだしてから、楽しかったことも辛かったことも、様々な記憶がよみがえってきます。ひとつひとつ文字にすることで、私は私自身をもう一度、見つめ直し癒しているんだと思います。

子どものような大人

母は子どものような人で。好き嫌いも結構あって、外食した時もメニューを見て自分がこれがいいって決めたのに、いざ出てくると私の注文した方が食べたいと言う(笑) よく交換してました。どっちが大人なんだか・・・^^ 自分の思い通りにならないとすぐにふてくされる(笑) 気に入らないことがあると口をきかない。これは本当にキツかったです。何回も何回も話しかけても無視されるってね。何に怒っているのかわからないときもあったりで。なにかあっても『ごめんなさい』というまで絶対に許さない。

あとになって分かってきたことですが、韓国って儒教の国。親は絶対的存在なんですね。私は中途半端な在日という日本でもない、韓国でもない環境で育ったために、母の考え方とは程遠かったんだと思います。

他にもいろいろとありましたが、こうして中学・高校と年に2回の韓国への里帰りをしながら、なんとか時は過ぎていきました。妹はまだ小さかったので母と二人、長期滞在。私は学校があったので父と二人で先に帰国というパターンが多かったですね。

高校を卒業し、就職。ここからますます、私は家に帰りたくない・・・と思うようになっていきます。

いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part17◆へつづく・・・

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12
私は何者?中途半端な立ち位置
part13自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?
part14⇨私の一番のコンプレックス
part15⇨嬉しさの中で言葉の壁に必死の毎日

 

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

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