いごこちじかんわたしじかんブログ

大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること

お家の風通しを良くする 『整理収納・空間収納・ルームスタイリング✨』
この3つの視点から、あなたにとっての「いごこち」をお手伝いします。

あなたの人生にここちよいヒントをお届けするライフリクリエイター 中村美枝子です。
私の振り返り10回目。小学校5年生からの話の前に・・・
自分の中での『ひっかかり』を、ひとつひとつ理解していくことで人は必ず前に進めます。

《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part10◆

徐々にいろいろなことがわかってきた

母は、私が2歳の時に亡くなりました。弟を出産するときに妊娠中毒症(現在は妊娠高血圧症候群というそうです)から脳梗塞になりそのまま母子ともに亡くなったそうです。このことを知ったのは随分と大人になってから。娘も息子も生まれた後です。誰から聞いたわけでもなく、ある手続きで母の死亡届が必要になり、自分で役所に取りに行きました。死亡届って、初めてみましたが数分ごとに刻まれた時間経緯とその時の状態が詳しく書かれていました。これを目にしたとき市役所の長椅子に座ったまま、涙が止まりませんでした。

それからなんども『死亡届』を見るたびに胸が締め付けられる思いと母への想いが大きく大きくなりました。もしかしたら、この時初めて母の死を実感したのかもしれません。母の写真が1枚もなく、母の顔も知らない。母に抱きしめられた記憶も『母の存在』じたい記憶に一切、残っていません。でも、それが現実で母がいなくても私はここに在る。この日から、私は自分自身と真剣に向き合うようになりました。

もしこのことを、もっと早く知っていれば20代の私は、もっともっと違う意味で、毎日を一生懸命生きていたかもしれない。

父からは一切、母のことを聞いたことがなく。30代後半、いろいろと書類を用意するときに初めて父の口から、母との出会いや当時のことを聞きました。それまでも兄のことや、姫路の祖母のことなど少し聞く程度。父方の祖母から小学校3年生の時に兄は母の連れ子で本当の兄妹ではなかったことを知りました。そこでやっと、私が一緒に姫路に着いて行けなかった理由が分かったのです。

母が亡くなった時、祖母に預かってもらえるようお願いをしたけれど、叔父の家も共働きで孫(一緒に暮らしていたいとこ)の面倒をみないといけないからと断られ、母方の祖母に6歳までという約束で私を預けたと父に聞きました。

父に、母親を亡くした孫よりも共働きでも両親が揃っている孫の面倒をみることを選んだ祖母に怒りと悲しさがあったと聞いたことがあります。母方の祖母には、娘(私の母)が死んだのは父のせいだと何度も罵倒されたそうです。そんな祖母に私を預けることもつらかったでしょうね。

こうして、私が物心がついたとき、おばぁちゃんとお兄ちゃんがいたんですね。

懐かしさを求めて

1969年。神戸市須磨区で生まれました。いつも目にしていた景色は妙法寺というところ。目のまえにあった山は「高取山」フェンス越しに見ていたたくさんの車は「相互自動車学院」今は、閉鎖されたそうですが、なんと20歳のときに免許を取るために通ったのは相互学院のグループの自動車学校でした^^

高校生の時、前の席に座った子と友達になり、その子と同じ幼稚園だったことが判明!そんなこともあって10年ぶりに、幼少期に過ごした場所へ友だちと一緒に行きました。住んでいたアパートもそのままで。近所にあった八百屋さんもそのままで。幼い頃に見た景色がそのままありました。

ただ違ったのは、幼稚園へ渡る道が大きな大きな道路だと思っていたのに、細い2車線道路だったこと・笑 アパートの横にあった「パパー!」って駆け下りていった長い大きな急な坂道が、こじんまりとした普通の坂道だったこと・笑

体が小さいと景色がこんなにも大げさに映るんだと、友達と大笑いをしました。

時間が頑なになった心をほぐしてくれる

大人になるにつれて、いろいろなことも分かり、頭では理解もしました。父も若くして小さな私を抱えて為す術もなかったことも。でも心にぽっかり空いた大きな穴を小さく小さくするには、たくさんの時間が必要でした。歳を重ねても、心の穴は子どものまんまで「さまざまな大人の事情」を受け入れることが私にはとてもしんどいことでした。

自分が子どもを持ってからは、なお更「どうして?」という気持ちもいっぱいでてきました。小学校5年生からの生活の中で、更に様々な心の葛藤と、どうしようもない思いが積み重なっていく。時間の流れの中で、一つ一つの出来事が解消されないまま大人になり、更に様々な確執のなかで心の穴は塞がることなく、今度は固く固くなっていきました。

 

大人として理解できることと、心の中の小さいまんまの私を理解させること、一旦、頑なになった心をほぐすことが、こんなに苦しくて難しいことだとは。今思うことは『どんなことも「時間」が心を緩めて穏やかにしてくれるんだな』ということ。あの時は、いくら理解しようとしてもできなかったことが、歳を重ねることで時間が解決してくれることもある。相手に寄り添うことも、自分自身に寄り添うことも、心から寄り添うことができるには、それなりの時間が必要だということ。だから、今こうして自分の振り返りを文字にすることが出来るようになったのだと思います。

結婚をした年に20年ぶりに母のお墓参りに行きました。
いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part11◆へつづく・・・

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます

 

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

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