いごこちじかんわたしじかんブログ

嬉しさの中で言葉の壁に必死の毎日

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あなたへ「いごこち」をお届けするライフリクリエイター中村美枝子です。

私の振り返り15回目。
《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part15◆

しばらく続いた脱線話は終わり、わたしの生い立ち本編へ戻ります^^
11歳の春、韓国から新しいお母さんが海を越えてやってきました。

ただただ嬉しい。それ以外のことはなかった!

当時は、在日韓国人の男性が韓国からお嫁にもらうということが多々あった時代。一時期、日本の農家へフィリピンの女性が嫁いできたのと同じです。小学校5年生に進級する前。春休みに韓国からお母さんが来ました。その1年前に韓国で結婚式を挙げ、日本に来る頃には母のおなかの中には妹がいました。日本に来た時は妊娠7ヶ月。夏に私はお姉ちゃんになりました。

今でも母と初対面したときのことは鮮明に覚えています。とても綺麗な人で。それまで父が持って帰ってきた写真をピアノの上にずっと飾っていました。母が日本に来るのが待ち遠しくて、ドキドキしながら待っていました。

新しいお母さんができること。キョウダイができること。本当に嬉しくて嬉しくて。母が来た日の夜、「おやすみ」のジェスチャーで両手を片方のほっぺにあてて「Good night」と言った母の笑顔を今でも覚えています。

毎日の生活が変わり嬉しさと戸惑いと

妹が生まれてから、それはそれは可愛くて。友だちと遊びに行くときもベビーカーに乗せて連れまわっていた(笑) おっぱいものませず何時間も連れまわして帰ってきた私をみて母は苦笑い。そりゃそうですよね。でも「私の妹やねん♬」といいながら友達に嬉しそうに言ってました。

母が学校へ来てくれるのも嬉しくて『私のママやねん!』って、聞かれもしないのに友達に言ってましたね。こうして家族ができ『嬉しい』だけの毎日でした。が・・・・・

とても重大なことが。『言葉がつうじない』母は日本語を話せない。聴くこともできない。1年間、韓国で日本語の勉強をしていましたが実際、生活に不自由がないほどマスターはしていませんでした。

そんなこんなで、次の日から母との会話はジェスチャーと母のカタコトの日本語と。伝わらないときは近所に住むおばぁちゃんに電話をして「〇〇って韓国語でなんていうの?」って聞いたり、どうしても伝わらないときはおばぁちゃんの家まで走っていき連れてきたり(笑) とにかく毎日が必死でした。

どこへ行くのも母と一緒。通訳するため。生活に必要な場所へは、すべてです。

だんだんと、私も母の話す言葉が理解できるようになりましたが、お互い100%意思疎通が出来ていたわけではありませんでした。今思い返しても、よくやっていたなぁ。って思います。毎日「聴く習慣」というのもすごいですよね。全く韓国語がわからなかった私も時間が経つにつれ、聴くことはできるようになったのですから^^

言葉の壁

言葉の壁ってないようで、やっぱりあるんですよ。ちょっとしたニュアンスが伝えられない、伝わらない。日常の会話でさえ、一生懸命伝えようとしても、あまりにも伝わらなかったら「もう、いっか・・・」ってなってしまう。苦しいですよ。伝えられない伝わらないって。

母も最初はとても頑張っていました。ある日、銀行に光熱費の支払いに行ったとき住所が書けなくて『住所も書けないんですか』って邪険に扱われ。それがキッカケで、ひとりで行くことがなくなりました。今も、何十年経っても何か「書き物」がある場所へ行くとき、必ず誰かを連れていきます。それぐらい傷ついたんですよね。

父と母のケンカが絶えず、言い合いになった時も、ちょっとしたニュアンスの違いでお互いが納得できないんです。言葉の壁だけではなくて、それぞれの性格もあるとは思いますが(笑)

母が嫁いできて、小学校5年生の冬、初めて私は韓国へ行きました。空港に降り、街を見まわしたとき最初に思ったのは「あー、お母さんもこんな感じなんだ」どこを見ても看板はハングル文字。飛び交う言葉はもちろん韓国語で。少し、母の気持ちが分かった気がしました。

それからは、夏休みと冬休みは韓国で過ごすようになり、従妹たちや叔父や叔母たちとも、それなりにコミュニケーションは取れてたように思います^^ 従妹たちと夜な夜な、紙に英語や絵を書きながら、身振り手振りで話したことも懐かしい。子ども同士のコミュニケーション能力ってすごいですよね^^

言葉の壁がありながらも、日々の生活は流れていきました。ただただ嬉しいだけの毎日が、徐々に歯車がずれはじめていきます。

いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part16◆へつづく・・・

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12
私は何者?中途半端な立ち位置
part13自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?
part14⇨私の一番のコンプレックス

 

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

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