いごこちじかんわたしじかんブログ

自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?

『整う・彩る・緩む』人生を♬
日常の余白を愉しむMaturityLife(まちゅりてぃらいふ)♡
あなたへ「いごこち」をお届けするライフリクリエイター中村美枝子です。

私の振り返り13回目。
《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part13◆

なにが因果かあれほど悩まされたときではなく、もう『帰化』をすることすら考えていなかった12年前に家族全員で帰化をすることになりました。

帰化をするということ

私が就職をするころ、帰化をする従妹たちが多かったです。三菱重工へ就職した従弟は帰化を条件に内定が決まりました。就職も、こんな条件があった時代。あの頃、まわりでも結婚したくても『韓国人』ということで反対されることも多く心を傷つけられ悲しい思いをした人は数知れない。私が結婚願望がなかった理由のひとつでもあります。好きになるのは『日本人』在日がいる環境にいなかったというのもありますね。だから、結婚するなら絶対に『在日韓国人と』って決めていました。

30年前の日本は、就職や結婚でまだまだ差別があった時代です。私自身も、帰化をするということは考えたこともなくて、父も母もその選択肢はなかったです。従妹たち両親、叔父や叔母は帰化をしていません。

結婚をして子どもが生まれ、子どもたちの将来のことを考えたとき、パパさんが『帰化しようか?』と話してきました。そしてパパさんの仕事のことを考えても日本籍のほうが良いということ。日本で暮らすには、日本国籍があるのが一番いい。子どもたちの選択肢の幅も広がる。ということもあって。子どもたちが成人して自分で帰化するより親が帰化して家族ごと申請する方が審査が通りやすい。長年『税金』を払ってきた実績があるからです。

でも私は『なんで今更・・・』という思いがありました。パパさんは『事務的な手続きが楽になるだけで何も変わらない』『みえちゃんひとりだけ帰化しなかったらもっと大変になる』パパさんは割り切っていましたね。私だけ韓国人のままだと、今度は子どもたちと私の親子関係を証明するときに、またまた手続き云々、大変なんです。

帰化を決めてから、まずは血縁関係のある人すべての証明を取らないといけません。パパさんはすぐに揃いましたが、私の家が複雑すぎて、必要な書類を集めるのに随分と時間がかかりました。母の死亡届を見たキッカケも帰化の手続きがあったからです。父の数回の婚姻届け、離婚届から亡くなっているので母の死亡届け。そして兄の関係も証明しないといけなくて。ゆかりのある市の役所にいろいろと問い合わせましたが最後まで見つからず。私の出生届、結婚する前の家族との戸籍謄本、私自身の婚姻届け、現在の家族の戸籍謄本など、韓国の役所や、日本の領事館、神戸市内の区役所数か所を何度も何度も行ったり来たり。ちょっとハードすぎて、一時中断したこともあって、帰化するまでに1年半くらいかかりました。

私のなかで一番悲しかったのは『韓国の戸籍が抹消される』ということ。帰化をするということは、自分の国を捨てるということ。帰化をして日本国籍になっても私は韓国人です。でも、もう韓国に戸籍がないと思うと今でも寂しいかな^^ 最後に取りよせた家族の戸籍謄本はまだ大事に取っています。子どもたちに『あなたたちのルーツ』だということをちゃんと知ってもらうために、曾おじいちゃんが出稼ぎにきた話から帰化するまでの経緯を何度も何度も話しています。ちゃんと本名があるということも^^

帰化するにあたって私の父は、二つ返事ではなかったけれど賛成はしてくれました。母と妹は賛成はしていませんでした。帰化した結果、事務的なことがスムーズになった以外は何も変わらない^^

韓国籍のときはパスポートが茶色だったのが、今は赤色になったこと。ちょっと違和感・・・笑

どこの国の人でも、それ以前に『ひとりの人間』

とにかく面倒なんです。在日って。永住権は持っていますが5年おきに外人登録証の更新(母は永住権を得るまで3年おきに更新)。戸籍謄本、婚姻届けなど本国にあるので何かにつけて法的な手続きがあると韓国から取り寄せないといけません。日本の役所にあるのは住民票のみ。更新の時に必ず『指紋』を取られるんですよ。犯罪者みたいでしょ?外人登録証明カードも常に所持しておかないといけません。

※2012年より制度が変わり『外国人登録証明書』が廃止され『特別永住者証明書』に変わったようです。

そして選挙権がないこと。公務員になれないこと(一部外国人枠がありますが極少数) 一国民として税金を払っているのに、この中途半端な扱い。そして特に韓国、中国、フィリピンなどアジア系の国はアメリカやヨーロッパと違い、いい顔されない。例えば、なにか事件があったとき、韓国人や中国人だった場合『また韓国人か』『また中国人か』って思われる。

今でこそ『韓流ブーム』でキャーキャー騒いでいますが。正直、ブームになったとき“ムカついた”(笑) 散々『朝鮮、朝鮮』って罵ってたくせに。って

世の中、だんだんとそういう差別がなくなってきて、27歳くらいの時『在日韓国人』と言うと『かっこいいね』『いいね』っていう言葉が返ってくるようになってきました。何がかっこいいのか私にはよくわかりませんけど^^

『かっこいい』という言葉より『韓国人でもどこの国でも中村さんは中村さんやん!』って言ってくれた人がいて。何百倍も嬉しかったです。

妹とは11歳も違うので、また『在日韓国人』としてのまわりの環境も随分と違います。私とも考え方や捉え方が少し違うと思います。

韓日問題は、まだまだ解決が困難な状態ですね。これは歴史的にも韓国の人たちの想いが日本とは全く違うので難しいと思います。日本ってそういう意味では『能天気』なんですよ。私も日本の教育を受けて日本で育っているので、韓国に行くと思い知らされる。『なんて私ってバカなんだろう』って。恥ずかしい思いもたくさんしました。若者たちの考え方や会話の内容も天と地の差がある。日本ってほんとに平和な国だなって思ったものです。

前回のブログでも話しましたが【見た目は日本人。でも『韓国人』韓国へ行くと『日本人』この日本人でもない韓国人でもない中途半端な立ち位置】

私が韓国へ行っていたころはタクシーにも張り紙があった『日本人の乗車お断り』って。従妹と一緒にタクシーに乗ろうとしたら、私だけ指さして『日本人は降りろ!』って言われたこともあります。今の韓国と日本の交流では考えられないでしょう? でもね、自分の国だから言うのではなくて、韓国人はとても情が深い。もうね、びっくりしますよ。

あの頃は、韓国の街を歩くのも危険でね。腕掴まれて連れて行かれそうになったことも。(捕まったらフィリピンとかに売り飛ばされるんですよ・笑) スリにあったこともありました。0時以降は外出禁止とか。テレビも朝と夜しか放送されない。

なんだかんだといっても、日本は豊かで平和な国です。

かつては後進国といわれた韓国もこの数十年で先進国と肩を並べる程になりました。先進国なのか発展途上国なのか、日本を上回るのか。議論も多いところですが^^

私は政治的なことはよくわかりませんが、早く韓日問題解決し仲良くなることを願っています。

私は何者?から行きついたところ

帰化するまでは、いろいろなハンデがあるなかで生きてきて。その中でも『韓国人』ということを嫌だと思ったり恥じたりしたことは一度もありませんでした。それは両親がそういう姿勢だったから。自然にそうなったのだと思います。私の周りにいる在日韓国人は隠す人が多かった。悲しいですよね。自分の母国を胸を張って言えないなんて。

帰化しても何も変わらない。日本国籍を得ても『嬉しい』とは思いませんでした。私のルーツは韓国だから、なにがどうなっても、何も変わらないんです。だから子どもたちにもしつこいくらい話してます。『国籍は日本だけど、あなたたちは韓国人やからね』って。子どもたちは4世になります。3世の私でさえ日本人に近くなっている。子どもたちはなおさらですね。息子なんて、何度話しても、まだ理解できていないこともあって、たまに『で、誰が韓国人なん?』って聞いてくる(笑)『みーーーーーんな韓国人』っていったら『おじいちゃんも?おばあちゃんも?●●●(私の妹)も?●●ちゃん(旦那の妹)も?』『そうやで・笑』って答えると『へっ?』っていう顔して笑います。

子どもたちには『韓国人』ということをなにも隠さなくていいし悩まなくてもいいと思えるように、いろんな角度から話しています。それよりも人種の分け隔てはない。《私はわたし》だから。ブログでよくこの表現をするのは、韓国人でも日本人でも、ひとりの人間だから。一個人だから。私は何者?《私はわたし♬》

次回は私の中で一番のコンプレックス!学歴について話したいと思います。幼少期のこと、国籍のことや学歴のことを話すのは『いごこちじかんわたしじかん』は整理収納にフォーカスしているのではないからです。お片づけはあくまでもツール、手段であって暮らしとは?生きるってことは?人生とは? 本質の部分を見てほしいから。そして本当の幸せや豊かさって意外にも、すぐ手の届くところにあるってことを✨

まだまだ続きそうです(笑) 継母との確執、父との確執、震災のこと。様々なことが時間を経て、こうして文字にすることが出来るようになりましたが、正直なところひとつのブログを仕上げるのにすごくエネルギーを使います。でも全部書き終えたとき、また今までとはちがう自分がいるような気がします^^ ツラツラと長々とした文章を、いつも読んでくださっているあなたへ・・・ありがとうございます♡

いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part14◆へつづく・・・

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12
私は何者?中途半端な立ち位置

 

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

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