『整う・彩る・緩む』人生を♬日常の余白を愉しむ♡いごこちじかんわたしじかん
お家の風通しを良くする 『整理収納・空間収納・インテリア✨』
あなたへ「いごこち」をお届けするライフリクリエイター中村美枝子です。
私の振り返り17回目。
《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part17◆
前回、中学の頃の話をしていて『あまり記憶がないなぁ』と思っていましたが、少しずつ思い出してきました。そして忘れられない友達がいたことを。
陸上から吹奏楽へ
小学校の高学年になってから陸上を始めました。これでも足が速くて、小・中・高と運動会ではいつもリレー選手で活躍していたんですよ^^
小学校高学年のとき陸上を始め、大会では短距離とリレーメンバーとして出場していました。中学も陸上部に入る気満々だっだのですが、なんと入学した中学校は陸上部がなかったのです。
※息子が小学4年生から6年生まで陸上をしてくれたこと。そして同じ短距離とリレーメンバーとしてがんばったこと。これは私にとってすごく嬉しいことでした。大好きだった陸上競技場の景色をもう一度見せてくれた。(スタンドに上がる階段からの景色が大好き)大会があるごとに、あの緊張感とワクワク感を思い出させてくれました。サッカーとの両立は大変だったと思いますが、練習が楽しいと言って、朝練も夕練も休むことなくがんばりました。長い時を経て走ることの楽しさを共有できたこと。本当に心からありがとう♡と思っています。
陸上部がない!!・・・次に好きだったことは音楽。選択肢は吹奏楽部しかなかったのです。陸上なら運動部のなかから選べば??と思いますよね。私、球技が一切出来ないんです(笑)テニスはできないけれど、バドミントンは得意。球を使うスポーツが、どうも苦手らしい。。。バレーもサーブが入った試しがない(笑)
そんなこんなで吹奏楽しかなかったのです。楽器は、これしかない!と思ったのがサックス。アルトサックスは希望者が多く、3年間テナーサックスを吹いていました。部活はとても楽しくて充実していました^^
家にいるのが嫌だったので、学校は大好きでした。中学生らしい出来事もたくさんありました^^ 今となっては想い出ですね。
中学の頃は『宝塚歌劇』も好きで。毎回、公演されている舞台の主題歌の楽譜を買ってピアノの練習をしていました。部活が始まる前、友達とピアノを弾きながら、みんなでよく歌っていました。学校にいるときは、いつも笑っていたように思います。
忘れられない友達
吹奏楽で一緒だった同じ名前の女の子。トランペットがとても上手な子。彼女のトランペットを吹く姿も音色も大好きだった。
なぜか、その子は私のことが大好きで。校内で私の姿を見つけると、どこでも一目散に走ってきて『みえちゃーーーーーん♡』って抱きついてくるような子でした。私もなんだかその子にとっても惹かれて、まわりの男子からは『あいつらレズやで・笑』と言われるくらい仲良しでした。彼女のお家も複雑で、お互いそんな話をしながら癒し合っていたのかもしれません。私、中学校の時は優等生扱いされるのが大嫌いな優等生(笑) いまだに『みえとみえちゃんが、なんで友達になったかがほんまに不思議』って言われるくらい、私もどうして友達になったのか覚えていない。その子は昔でいう『不良少女』タバコ、シンナー、夜遊び、ケンカ、授業サボリ、制服もまともな恰好で着たことがない。とにかく私は毎日毎日、タバコを取り上げては懇々とお説教をして、シンナー吸っているのを見つけては取り上げ、夜は遊びに行くなと喝をいれ・・・、一生懸命に更生させようとしていました。どうしてあんなに一生懸命だったかは分かりません^^
※今でもそうなんですが、ひとを好きになるのに理由はない。男だから女だからでもなく。中性的でも。その人の背景にあるものは関係なくて、その人を『個』として好きになる。人として惹かれる。逆にその人を『個』として見られなくなったとき気持ちが離れる。
いわゆる不良仲間との付き合いもあったのに、ごくごく普通の子たちとも付き合いがあった不思議な子。
高校へなんて全く行く気がなかった彼女に『がんばって高校行こっ!』っていう私を見て『行かへーん』ってケラケラと笑う。クォーターだったので、とっても可愛い子でした。それでも、一緒に勉強をして、なんとか私立高校へ入学しましたが、あっという間に3年生に目をつけられ、タイマン張って勝ってしまい停学。そして退学に。ケンカで退学って(;^_^
若くして結婚をして、大人になってからもたまに会うくらいになっていましたが、私の結婚式には来てくれました。その後、また音信不通になり息子が3歳くらいの時、突然、電話がかかってきたんです。びっくりしましたけど、お互い近況報告など話しました。それから毎日、メールや電話がかかってくるようになり・・・ その頃の私は、実家に仕送りするためにサイゼリヤの工場で夜勤をしていた頃。親との関係も最悪の時。気持ち的にも体も余裕がなく、いっぱいいっぱいだったとき。いつしか彼女からのメールや電話をスルーするようになりました。
※彼女だけでなく、小野に来てからは一切、同級生との交流が自然となくなり、結婚、震災で市外に出る子たちも多かったので、あえて連絡をとろうともしなかったように思います。
去年、数十年ぶりに中学の同級生と会う機会があり、その子たちは、大人になってからも彼女と仲良しだったので、もしかしたら一緒に来るのかな?と思っていました。『●●元気?』って聞くと『あっ、みえちゃん知らんかった?』『みえ、亡くなってん。もう4年くらいなる。離婚もしてひとりやったから。●●(娘さん)が電話しても繋がらんから家に行ったら亡くなっててん・・・』離婚をしたことも知りませんでした。
癌を患っていたようです。孤独死。ショックと後悔が一気に押し寄せてきました。12年前、久しぶりに電話が掛かってきた時、たぶん私に会いたかったんじゃなかったのかと。話に聞くと亡くなる数年前に手術もしていたようです。45歳で逝った彼女の波乱万丈の人生。
同級生が『みえはみえちゃんのこと、ほんまに大好きやったもんなぁ。なんで友達になったかは今でも不思議やけど^^』
心にゆとりがないと、まわりが見えない。自分のことだけに一生懸命になってしまい視野が狭くなる。相手を思いやる気持ちも持てない。この10年で私自身、随分と変わりました。私が小さいころから経験してきたことの答え合わせの10年間。このために小さいころから様々な経験があったのかと思う10年間。40代はホントに濃かったです。
相手を思いやる気持ち。相手の心を癒すこと。相手の心を軽くすること。相手の心を元気にすること。まずは私に関わってくださる方たちの幸せを願うこと。これからもずっと大事にしていきたい。いつかたくさんの人たちに貢献できる日がくるといいな。
もう、彼女には会えないけれど。『あのときはごめんね』って思いながら、毎日が彼女一色だった中学の頃を思い出しています。そしてふと蘇った記憶。私のファーストチュウは彼女だったなぁ・・・卒業式の前の日、彼女がありがとうって。
脱線から戻り、次回は高校卒業後からのお話を。
いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part18◆へつづく・・・
part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11⇨私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12⇨私は何者?中途半端な立ち位置
part13⇨自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?
part14⇨私の一番のコンプレックス
part15⇨嬉しさの中で言葉の壁に必死の毎日
part16⇨『いってらっしゃい』の大切さ
part17⇨毎日が彼女一色だった中学の頃⇦イマココ
part18⇨人の言葉で傷つき 人の言葉で傷つける
part19⇨距離を置きたいのに両親への罪悪感はどこからくる?
part20⇨結婚後、親と離れても心はずっと縛られる
part21⇨価値観、人生観が大きく変わった「阪神淡路大震災」で失ったもの
part22⇨生きるってとてもシンプルなこと
ブログというツールで発信を始めてから7年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。
◆心のお片づけから一歩が始まる◆
お片付け、お掃除、子育て、パートナーシップ、対人関係など。「なにかがちがう?」
そんな違和感があるまま生活するよりも「心のモヤモヤ」を緩めることで、毎日の暮らしが変わります。いま目の前に在ることをスルーしても、それは解決したわけではありません。目の前に在る自分と向き合うことから始めることで、今まで気づかなかったことが見えてきます。「わたしはわたし」自分の人生は自分で創り上げていくもの。毎日の積み重ねが、あなたの人生そのものになります。
Restartするときがターニングポイント♡あなたのココチイイ暮らしが動き出すとき
兵庫県在住。夫、娘(大3)息子(高2)の4人家族。娘は京都でひとり暮らし中。
幼少期から様々な家庭環境の中で育ち、まぁまぁ波乱万丈の人生をおくる。40歳のとき「私の人生このままでいい?」の自問自答で「私を生きる暮らし」にシフトチェンジから12年。
暮らしオタク、人生オタク。チャレンジ精神旺盛。まずはやってみる!話すこと、文章にすることが大好き。まだまだ人生学びの日々。死ぬまで勉強!
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