いごこちじかんわたしじかんブログ

距離を置きたいのに両親への罪悪感はどこからくる?

ゆる~くココチよく 私の在り方、私の生き方
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ライフリクリエイター中村美枝子です。

娘の1ヶ月検診の帰りに実家へ行こうと決め、自分の気持ちに『えいっ!』と気合をいれて1年ぶりに、小さな小さな娘を抱っこし実家へと足を向けました。

私の振り返り20回目。
《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part20◆

ただ『もう無理』それしかなかった久しぶりの母の顔

娘を出産後、実家には帰らず家に戻り普段通りの生活が始まりました。パパさんの仕事が終わるのが遅くて、家事と育児は、すべてひとり。それでも娘の寝顔を見ている時間も、おっぱいを飲んでる顔も、娘のお世話をする日々は、産後の疲れなど吹っ飛ぶくらい愛おしく幸せな毎日でした。そして、一ヶ月検診が終わってから実家へ行こうと決めていた日がきました。病院から直接、実家のある神戸へと車を走らせながら、それは嬉しいとか楽しみとか、そんな感情ではなく「また何を言われるんだろう・・・」そんな気持ちで向かっていたのを覚えています。

娘を見る目は、とても優しく穏やかな母でしたが、やっぱり私に対しては「怒り」の感情が伝わってくる。たわいもない話をし、実家を後にしました。翌日、母に電話をすると「あんた、なにしに来たん?」という言葉。私が実家へ行かなかった期間、親に対しての態度。このことについて謝らなかったことが、母をもっと怒らせました。

 

何に対して、謝るのだろう? いつも母の感情を抑えるために「ごめんなさい」と言っていた子どもの頃。相手の気持ちは?あなたの考えがすべて正解で、それに従うことがあたりまえ?それが大人になっても変わらない。そして結婚しても変わらない。もう自分の中で限界でした。そして、それ以来また実家へ行かなくなりました。

両親への罪悪感がいつまでも消えない

パパさんも、私と母の関係を見かねて「もう、距離を置いた方がいい。それをすることで、みえちゃんが悪いことをしているんじゃないから大丈夫」といって、実家へはもう行くなと。以前の私なら「そんなことできない」と突っぱねていましたが、もう疲れ切っていて母と会うという選択肢はありませんでした。

私の心を悩ませていた両親と距離を置くことで、パパさんと娘との生活は、とても穏やかで楽しくて。でもどこかで親に対する罪悪感が見え隠れする毎日でした。この罪悪感はどこからくるんだろう? 親に対してこんなことをしていいの? あそこの娘さん薄情な冷たい子。そんな思いが頭をかすめる。でもこれは以前、私に向けられた言葉でもある。スクスク育つ娘を見ながら、やっと私の居場所、家族ができたと安心感に包まれる、この時間だけがあればいいのに・・・。って、毎日思っていました。

妹は何度も、私と親との関係を修復しようと一生懸命で、私と親との板挟みになっている妹に申し訳なく、娘が2歳半のときパパさんと一緒に実家で話し合うことになりました。母は以前より穏やかに話していましたが、根本的には「私が悪い」という前提で話してきます。

何も変わっていない。親子になることも縁を切ることもできない状態で、ほぼ諦めのなかで、また実家との行き来が始まりました。娘にはとても優しいおばあちゃんで娘もおばあちゃんのことが大好きで。楽しい時間もたくさんありましたが、母の「こうでないといけない」は、同じようにあるので機嫌を損ねないように、相変わらず顔色をみながらモヤモヤの中で時は流れていきました。

心の穴が埋まらない寂しさ

息子の妊娠が分かったとき、妹が色々とあった時期で祝福という状況ではありませんでした。結局、息子の出産のときも実家に帰る選択肢はなく、入院中、娘を預かってもらうという気持ちも全くありませんでした。

どう考えても病院での出産は無理だったので、娘も一緒に過ごせる助産院で出産をし退院後は小野へ帰りました。二人目は産後休む間もなく、子どもたちのお世話と家事は、さすがにキツかったです。本当に私、よく頑張りました(笑)

 

息子が生まれたとき、父も母も韓国へいっていたのですが「帰ってこなくていいよ、予定通りそっちに居て」って言いましたが、すぐに帰国し助産院へ来てくれました。生まれたばかりの息子と娘をずっとみるのはしんどいからと、娘を1日須磨水族館へ連れて行ってくれました。夜ご飯を食べさせて助産院へ送ろうと思っていたらしく、娘にそのことを言うと「かーか、ひとりでご飯食べるのかわいそうやから帰るっ!」といってきかなかったそうです。

そんな娘が可愛くて愛おしくて、私がずっと小さい頃から寂しい気持ちで生きてきたことを知ってるかのようで。不思議なんですが、娘は生まれたときから「子ども」という感覚がなくて。もう20年も一緒にいるけれど今も不思議な子で、これは感覚的なことなので言葉にはできないんですけど。最近、ある方に『娘さん、お母さんの生まれ変わりかもね^^』と言われたんですが、それもなくはないかな。って思っています。

今思うと、両親との関係の中で、私の「思い込み」も随分とあったかもしれません。気持ちが通じ合わない、心が通い合わない。それがお互いに大きな誤解を招く場合があります。お互いが自分のことしか見えていないときは、相手の気持ちも心も見ることができません。これが他人だったら、もう少し早く改善できたかもしれない。でも、私は母にずっと「お母さん」を求め続け、自分の心の中が埋まらないことに悲しさや寂しさが一層、増していきました。

 

それでも「これでもか」というほど、息子の妊娠中に私を追い込む出来事がやってきました。次回は前後しますが、阪神淡路大震災について。私の人生観、価値観が大きく変わり、さらに両親への不信感、確執は深くなりました。

いごこちじかんわたしじかんができるまで ◆part21◆へつづく・・・

part1⇨人生の半分?人生の折り返し地点っていつ?
part2⇨「笑顔」で「頑張る」居場所探しの長い長い時間
part3⇨事務職は天職!空白の2年間
part4⇨タフな私が限界を知った日~突発性難聴との付き合いが始まる
part5⇨これってドラマの中の話じゃなかったの?
part6⇨無我夢中な私。職種を選ぶ余裕なんてなかった結婚後
part7⇨人生の展開はひょんなところからやってくる
part8⇨あたりまえの景色があたりまえじゃないと分かってきた幼少期
part9⇨ドタバタ慌ただしい幼少期がひとまず落ち着きます
part10⇨大人として理解できること心の中の小さいまんまの私を理解させること
part11私の子育ての根っこ『ひもじい』『さびしい』思いはさせない
part12
私は何者?中途半端な立ち位置
part13自分の国を捨てる?帰化をしても『私はわたし』国籍ってなに?
part14⇨私の一番のコンプレックス
part15⇨嬉しさの中で言葉の壁に必死の毎日
part16『いってらっしゃい』の大切さ
part17⇨毎日が彼女一色だった中学の頃
part18人の言葉で傷つき 人の言葉で傷つける
part19結婚後、親と離れても心はずっと縛られる

番外編⇨子宮ポリープちゃん、どこにいった??

ブログというツールで発信を始めてから7年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。あと少しで終わります。《いごこちじかんわたしじかんができるまで》最後までお付き合いいただけると幸いです。

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